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飯綱遣いの部屋
飯綱遣い(いづなつかい)の部屋へようこそ!:ここはドラマ中心に気になったものを書き記す私の資料置き場のブログです。ドラマデータは、コネタ、俳優の役名・役柄・プロフィール・所属事務所等です。あなたのお役に立ちますように。視聴率は気にしないつもり。

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スタジオパークからこんにちは「コシノヒロコ」
NHK総合 2012年3月15日(木)


カーネーション・閲覧者カウンター



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★感想

いや~!面白かった!

自分=優子の服に不満を言ったり
娘さん・コシノユマさんがヤンキーじゃないって怒ってたとか
コシノ家として言うことはっきり言ってたし~

それにしても、前に放送された
NHKアーカイブス「生涯青春“カーネーション”小篠綾子の人生」
(NHK総合 2012.02.05 - 13:50~) の出演時は
「ピアノこうて」札を1000枚つくってって言ってたのに
今回は3000枚って・・・増えてるじゃん!www

歴史秘話ヒストリア「“カワイイ”に恋して~中原淳一と“カーネーション”の時代」
(NHK総合 2012.02.15 - 22:00~) で、何でコシノ一家と関わりが?
と思ってたけど、ヒロコさんの話で納得。

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★内容


「こんにちは。」
「(近田アナ) 今日のゲストはファッションデザイナーのコシノヒロコさんです。」
「(コシノヒロコ) こんにちは。」
「(柘植アナ) ようこそお越し頂きました。」
「(近) よろしくお願いいたします。
 現在、放送中の朝ドラ『カーネーション』のヒロイン・糸子のモデルが
 お母様の小篠綾子さん。」
 ですから、ドラマでいうところの新山千春さん演じる優子さんという。」
「(ヒ) 優子ですね、はい。別名、小原優子でございます。」
<笑>
「(近) よろしくお願いします、今日は。」
「(ヒ) よろしくお願いします。」
「(柘) 今日はすてきなお衣装で、さすが。」
「(ヒ) 今年の春夏のコレクションの中から。
 ちょうど着て頂いてるお洋服もそうですよね。」
「(柘) そうなんです、今日は私も近田アナウンサーも。」
「(近) そうなんです。」
「(柘) コシノヒロコさんワールドで。」
「(近) 柘植さんは全身、私はネクタイを貸して頂きまして」
 今日は、この3人、シックな雰囲気でお伝えできればと思いますので。」
「(ヒ) ファッションですからね。」
「(近) よろしくお願いします。」
「(ヒ) 楽しくやりましょう。」



「(近) 早速ですが、メッセージを紹介させて頂きたいんですが」
 静岡県のタムドクさん。
  ”『カーネーション』を見て大変興味を持ちました。
  三姉妹を育て上げたお母様には本当に感服いたしますが
  本当にドラマと同じような感じだったんでしょうか?
  気になってしかたがありません。”
 ということなんですが。」
「(ヒ) もう…お母ちゃんの私たちの育て方っていうのは、全くあのとおりですね」
「(近) そうですか。」
「(ヒ) はい。本当にもう、何て言うのかしら…
 背中しか見せてもらえないってぐらいの。
 ですからお母ちゃんが、3人の娘さん どうして育てたんですか?って
 皆さんが、いろんな、もう興味… そればっか聞くんですけど
 いや、もうほったらかしですねん って言うのがお母ちゃんの口癖だったの」
「(柘) 実際に、ほったらかし?」
「(ヒ) もうほったらかしやから
 ”もうそばへ来んといて”
 ”忙しいねんからどっか行っといで”
 おまけに”散髪屋へ行け”とか たくさんお稽古事をさせられてね
 もう、習いに行かされたり。
 あんまりね 普通のお母ちゃんとしての面倒はあんまり見てもらった…
 なんか、あまりこう…ないんですよ、思い出が」
「(柘) 今日は、その辺りもいろいろ伺いたいですね。」
「(近) たっぷりと伺えればと思います。
 今日、本来はコシノさんとお呼びすべきなんでしょうけれども
 今日、コシノさんが話の中でたくさん出てきますので、
 あえてヒロコさんと呼ばせて頂いてよろしいでしょうか。」
「(ヒ) もう、そうしてください。3人も4人もいますので。」
「(近) よろしくお願いいたします。」
「(ヒ) よろしくお願いします。」
「(近) 今日は録画放送のため放送中の質問、メッセージの募集は
 ないんですけれども、すでに頂いている質問、メッセージから紹介させて頂きます。
「(柘) では、お席のほうにお願いいたします」

[テロップ]
コシノヒロコ (ファッションデザイナー)
1937年 大阪 岸和田生まれ 三姉妹の長女
高校卒業後 母と同じファッションの道へ
小篠一家

(拍手)

「(柘) 改めまして、本日のゲストです。
 ファッションデザイナーのコシノヒロコさんです。
 どうぞよろしくお願いいたします。」
「(ヒ) どうぞ、よろしく。」
「(柘) 今日はコシノさんの後ろに綺麗なお花がありますけども
 こちらはですね 『カーネーション』で長女・優子役を演じてらっしゃいます…」
「(ヒ) あ、新山さん?」
「(柘) はい、新山さんから届きました。まさに、これもカーネーション…。」
「(ヒ) 近頃、きれいな色のねえ。
 私も先日 新山さんが出てらっしゃる時にカーネーション贈らせて頂いて
 お花の交換会みたいね。」
「(柘) 本当にスタジオも華やかになりました。」

(右は新山さん出演時のカーネーション)



コシノ一家が朝ドラのモデルに



「(柘) さあ、今日はコシノヒロコさんに
 いろいろお話を伺っていきたいんですけれども
 コシノヒロコさんといいますとファッションデザイナーコシノ三姉妹
 皆さん、よくご存じだと思います。」

 ※綾子さんを中心に3姉妹が囲むおなじみの写真

「(柘) この三姉妹、ヒロコさん、ジュンコさん、ミチコさんをお育てになったのが
 お母様の綾子さんということなんですけれども
 今回『カーネーション』のヒロインのモデルになったのが
 綾子さんなわけですけれども。
 ヒロコさんは『カーネーション』ご覧になってらっしゃる?」
「(ヒ) もちろん、見てます。もう本当にすばらしい。
 視聴率が高くって。
 考えられないぐらいの人気でね。
 まあ、ですけど、実際に… 私の個人的な感じからすると
 ちょっと優子役って、あまりにも真面目すぎて、
 なんか、私あんな服着てなかったわ
 もっと格好ええ服着てたなあ。」
<笑>
「(ヒ) もうちょっと、クリエーティブな洋服着てとん違うかな。
 ジュンコはえらいクリエーティブなんだけど
 私はなんだか経営者みたいで。
 あんまり経営者的才能って大したことないって思ってんだけど。
 やっぱり、その点がね、
 NHKとしては、2人の性格を完全に出していかなくちゃいけないって
 その辺とってもよく分かるし。
 私の洋服もごく普通~の洋服ですから。
 でもやっぱり、誰でも分かりやすい洋服を私は着せて頂いてるっていうか。
 そんな感じでね、見てるんですけども。
 でも、なんとなく、デザイナーとして、ちょっと不満が残ってるんです。」
「(柘) アハ!そうなんですか、本音がちょっと。
 まあ、ドラマですからね。もちろん、ちょっとフィクションも入ってね。」
「(ヒ) これはもうフィクションですから、客観的に見ておりますけれども。」
「(柘) そのファッション性といいますと、この三姉妹、ヒロコさん
 ジュンコさん、ミチコさん
。三者三様さまざまで皆さん世界的に活躍されて」
「(ヒ) 個性がある意味、全然違いますよね。」
「(柘) そうですよね。
 そんなコシノヒロコさんのお洋服も後ほど実物が登場いたしますので
 そちらもお楽しみになさってください。
 まずは、そんなコシノヒロコさんのお仕事ぶりについて
 近田アナウンサーからご紹介いたします」



近田の特ダネ



「(近) よろしくお願いいたします。
 コシノヒロコさんは、1937年
 もうドラマでもお馴染み、大阪の岸和田のお生まれです。
 高校卒業後に上京されて、服飾の専門学校に入られます。(※1956年)
 在学中から数々の賞を受賞されるんですね。
 27歳の時に、こちらもドラマにありましたけれども
 大阪の心斎橋にアトリエを開設。(※1977年)
 その後、東京コレクション。(※1977年)
 そして、45歳で、あの、パリコレ初参加と (※1982年)
 国内外さまざまなコレクションを発表されています。
 そして、舞台衣装、スポーツのユニフォームなど
 精力的に活動の幅を広げていらっしゃいます。
 そのコシノヒロコさんの今年の春夏コレクション。
 映像でご覧頂きましょう。こちらです」

 ※映像:
  「2012 S/S TOKYO COLLECTION
   HIROKO KOSHINO
   資料提供:INFAS.com
  リンク⇒HIROKO KOSHINO 2012SSコレクション - ファッションプレス

「(近) ということで、今日はコシノヒロコさんの作品
 スタジオにお持ち頂きました。」
「(柘) わあ、すてき。」
「(近) じっくりと見ていきたいと思いますけれども。」
「(柘) 近くで 見せて頂いていいですか。」
「(近) こちらですね。
 先ほどクリエーティブという言葉がありましたけれども
 その真骨頂といいますか。これ、伺いますと、和紙で?」
「(ヒ) はい、素材は紙なんです。」
「(近) 紙。」
「(ヒ) 紙で洋服を作るって
 紙って大体、日本の伝統的な特徴のあるものですけど。
 それで、お洋服を作ってみて
 しかも、これは これ以上、しわにならないし。
 その上に絵も描けるし。
 とても楽しい世界なんですよ。
 これ2つとも、スカート。
 それから、こちらも。
 そちら(左)のほうは、紙の糸で覆った布風に作ったものですけど。
 これ(右)は、もう全く和紙で作ったものですね。」
「(柘) ちなみに、今映ってるほう(左)も、紙素材ではあるんですか?」
「(ヒ) はい、全部、紙布です。」
「(柘) あ、そうなんですか…。そこに、あの、何て言うんですか…」
「(ヒ) 直接、墨で絵を描いているんです。」
「(柘) 直接。」
「(ヒ) はい。私はもう、絵を描くのが。
 どちらかっていうと美大に行きたくて。」
「(近) そうですよね。」
「(ヒ) 親に反対されて行けなかったんですけど。
 もう、絵描きさんになりたかったんですね。」
「(柘) 大胆な感じですよね。じかに描いていってしまうって。」
「(ヒ) そうですね。これ、後ろのびょうぶも自分で描いたものなんです。」
「(近) 後ろの屏風もヒロコさんが。」
「(ヒ) はい。」
「(近) これ、大胆に…。」
「(ヒ) これね、結構、力いるんですよ。」
「(近) そうですよね、これ。」
「(ヒ) 描いてる間ね、なんか…気がついたら息してないのね。
 フッてやりながら描くので気合いで描いちゃうんですけど。
 あとで終わってから ハーって、なんか酸欠になってたりして」
「(近) ファッションの世界って、こう…早くから早くから
 作品を考えなければいけないんですよね。」
「(ヒ) そうですね。やっぱり1年前ぐらいから
 ちょうど、もう店頭に出すまで。
 ですから重なって重なって、いろんなこと考えていかなくちゃいけないから。
 デザイナーほど忙しい職業ないですよね。」
「(柘) 常に1年先、2年先を見据えてと考えてらっしゃる…。」
「(ヒ) そうです、そうです。」
「(近) 今日はですね、実際ドラマの中でも登場しましたデザイン画を
 本物、お借りしたんですよ。これ。」

 ※デザイン画

「(柘) これは実際にヒロコさんがお描きになった…。」
「(ヒ) これは私が筆で描いたものなんですね。
 デザイン画は、全部 私、筆で描くんです。」
「(近) 筆で。」
「(ヒ) はい」
「(近) この細い線も全部筆で。」
「(ヒ) 全部、筆です。」
「(近) はあ~!」
「(ヒ) 筆の先で描くと太いところとか細いところとか
 それと、ぼけたところとか 全部、いろんな表情が出るんで。
 一本の筆で描くというのは もう、本当にすごい いろんな力が出てくる。
 細いペンですと もう、本当に、なんか
 画一的な絵しかできないんだけど これなんかは、筆使ってますから。
 最終的にやっぱり洋服は
 肉づけをしながら布の表情を出していかなきゃいけないので
 筆でないと表現できないんじゃないのかなって感じはしますけれどね」
「(近) ドラマの中では三女、聡子のために
 お姉ちゃん二人のデザイン画を岸和田に送るシーンがありましたけども、
 実際に送られたりはしたんですか?」
「(ヒ) そうですね、あの、そのころはまだ筆で描いてはいませんけど。
 やはりいろんな段階があって、
 鉛筆だとかペンでワッとイメージ的な物を描いて出す場合もあるし。
 アクセサリーも靴も全部決まってから
 完璧な上から下までの絵を描く時もありますけども。
 まあ、どちらかっていうと 縫う人だとかパターンを作る人たちに
 イメージとしてきちっとある程度出してあげないといけないのが
 デザイン画ですから。」
「(近) ちなみに、これまでに何枚ぐらい描かれたんですか?」
「(ヒ) 過去からですか?
 これはもう計算したことないけど。もう、何万枚以上でしょうね。
 1回で、あっという間に100枚ぐらい描きますから。」
「(近) 1つのデザインを100枚。」
「(ヒ) いえいえいえいえ。
 100デザインぐらいあっという間に描いちゃうんです」
「(近) 1つのコレクションで。それを…、貴重なものを今日は…。」
「(柘) これも額に…これもアートとして飾りたいぐらい美しいですよね。」
「(ヒ) もう、私はとにかく絵を描く専門の仕事につきたかったから。
 デザイン画もどちらかというとちゃんと飾って見せられるような絵を描きたくて。
 だから中途半端の時の絵は、
 企画の段階の絵はあんまり見せたくないんです。」
「(近) そうなんですか。」
「(柘) さすが。」
「(近) 作品としてありがとうございます。
 さあ、美大のお話も後ほどたっぷりと伺いますけれども
 『カーネーション』の展開、まずはご覧頂きましょう。今後の展開です」



 第25週 『奇跡』から



院長室
「(総婦長・相川) 病院のファッションショー?それは無理です。」
「(糸子) 何でですか?」

奈津を初めて見かけた病室
「(院長・龍村) 桜井奈津さんです。」
「(直子) 何や?」

末期がん患者の加奈子に語る糸子
「(糸子) 年とるっちゅうことはなあ
 奇跡を見せる資格がつくっちゅうことなんや。」

病院のロビーでファッションショーの司会をしてる糸子

「(近) 実は今後ですね
 コシノヒロコさんのお洋服もドラマの中に登場するんですが
 それにも注目して今後の展開ご覧ください。
 以上、今日の『近田の特ダネ』でした」



 ここが聞きたい



「(柘) さあ、ここからは『ここが聞きたい』です。
 コシノヒロコさんにいろいろプライベートな話
 それからドラマの話も含めて伺っていきたいと思います。

 今日のテーマですね。
 『コシノヒロコ 本当のコシノ一家』
 本当の、がついていますけれども。」
 「(ヒ) いや、これ本当に一族郎党じゃないけど
 (向かって右側に)親戚の子もいるし 友達もいるし お母ちゃんもいるし。」
「(近) お母ちゃん、どれですか?」
「(ヒ) お母ちゃん、これです。」(右から3人目)
「(近) 綾子さん。」
「(ヒ) これお母ちゃんの友達ね。(右から1番目)
 それから、これがうちのいとこ。 (右から5番目)
 それから私の友達。 (右から4番目)
 これが、いとこ。 (坊主頭の男の子?)
 それから、ジュンコはガーっと前に出てきてますよね。」(前列一番左)
「(近) 出てきてますね。」
「(ヒ) その横の、ちょこっと横から一生懸命顔を出してる (後列一番左)
 あれがヒロコです。」
「(近) ヒロコさん、ご本人が。」
「(ヒ) いつもね、ジュンコにイヤっとされて、
 それからキューって感じが、
 なんかもう 暴力でやられますからね。」
<笑>
「(近) この絵柄もなんて言うんでしょう、ドラマの中にありますよね。」
「(ヒ) そうそうそう。こんなね、今でもね、こういうもの作ったんですよ。」
「(近) そうなんですか。」
「(ヒ) 新しく、岸和田の街を昔風のそのままにしようっていうんで
 私たち姉妹(きょうだい)集まって、
 なんか、岸和田の街をちょっと新しく昭和の時代に変えて作り直した。」
「(近) へえ~。そして、ドラマの関係を改めておさらいしますと、
 こちらですね。
 まず、ヒロイン・糸子 小篠綾子さんがモデルとなっています。
 演じているのは尾野真千子さんと夏木マリさんですね。
 そして、三姉妹見ていきましょう。
 まずヒロコさん。ドラマの中では、長女・優子。
 新山千春さんが演じていらっしゃいます。」
「(ヒ) きれいすぎますよね。
 新山さんね、あんなきれいな方を。
 本当に私は優子で本当に光栄だと思います。」
「(近) ドラマと重ねてご覧になってる方も多いと思いますよ。
 そして、ジュンコさんは。」
「(ヒ) 似てますね!すっごい似てる。そっくり。」
「(近) 正直、私も似てるかなと思いましたけどもね。」
「(ヒ) いや、もうすごいぴったりです。」
「(近) ジュンコさん川崎亜沙美さんが演じていらっしゃいます。直子です。
 そしてミチコさん。ドラマの中では三女・聡子。
 安田美沙子さんが演じていらっしゃいます。」
「(ヒ) かわいいですよね、安田さんね。ほんとかわいい。
 ミチコも、かわいいんですよ。」
「(近) ドレッドヘアがね トレードマークといいますか。」
「(ヒ) ロンドンっ子ですからね。」
「(柘) お母様がドラマのヒロインのモデルをされていらっしゃいますけども。
 わりと忠実にされているところもあるんですか?」
「(ヒ) あの、私は子どものころは、あまり…まあ
 私たち、生まれてないから分からないんですけど
 特に私たちが子どものころに育てられた いろんなエピソード。
 あれは、もう忠実にそのまま出てますね。
 あの中で、『ピアノこうて』というのがありましたね。」
「(近) その辺り映像でまとめてありますので
 一緒に見て頂ければと思います。こちらです。」



 姉妹喧嘩の真相は?



※第15週『愛する力』(80話)

店の入口 糸子につまみ出される優子と直子
「(優子) いやや、いやや!」
「(直子) いやや、いやや!」
「(糸子) 外で遊んでき!」
「(優子) いやや!」
「(直子) いやや!」
「(糸子) 外や、外や、ほれ!」
二人を追い出す糸子
ものさしを武器に出した糸子に、ふたたび抵抗するふたり
「(優子) いやや!」
「(直子) いやや!」
糸子が二人を突き放す
「(糸子) 5時までには帰ってくるんやで!」
「(優子) いー!」
「(直子) いーっだ!」
走り去る二人

※第16週 『揺れる心』(88話)

台所の糸子に三姉妹が詰め寄る
「(優子) ピアノこうて。」
「(直子) ピアノこうて。」
「(聡子) こうて。」
「(優子) ピアノこうて。」
「(糸子) ピアノ? あほか、そんなの買えるかいな。」
「(優子) ピアノ!」
「(直子) ピアノ欲しい!」
「(聡子) ピアノこうて!」
「(優子) ピアノ欲しい!」
「(直子) ピアノ欲しい!」
「(聡子) ピアノ欲しい!」
「(糸子) あかん、あ・か・ん!」

※第17週 『隠しきれない恋』(93話)

周防に会うため着る洋服を選んでいる糸子
洋服のベルト部分を見る糸子
『ピアノこうて』と書かれた細長い紙がついている
他の洋服を見ると全ての洋服に紙が縫いつけられている
唖然として洋服をあきらめる糸子

※第16週 『揺れる心』(87話)

神戸の正一が来た日、天井から喧嘩する声。
「(優子) うちが先や!」
「(直子) 嫌や うちが使うんや!」
「(優子) うちのや!」
襖をあけて入ってくる糸子
二人の頬をつねる糸子
「(二人) 痛い痛い痛い」

※第18週 『ライバル』(101話)

表、直子の赤いバッグを持って東京に行く優子を追い
優子からバッグを取り返そうと
路上で直子が優子に馬乗りになり大ゲンカになる二人
「(直子) 何じゃ 何やねん!返せ!」
「(糸子)やめ!やめ!やめ~!や~め~!やめ~!」




「(ヒ) アハハ!よう、こんな喧嘩。
 今から考えたらね ホントにうちの家なんてね
 襖やなんかバタバタ破れてるし ひっくり返ってるし。
 本当に、すさまじい喧嘩をよくしていました」
「(近) そうなんですか。」
「(柘) 女の子3人なのに。」



 姉妹喧嘩はコシノ家の教育方針!? 欲しいものは勝ち取れ?
 お母ちゃん独特の教育方針



「(近) 滋賀県のナカムラミサコさん。(からの質問)
 ドラマのようにヒロコさんとジュンコさん
 派手な姉妹喧嘩されていたんですか?」
「(ヒ) いや、もう例えば、お帽子なんかお母ちゃんが買ってくれたら
 その帽子を取りに来るんです。ジュンコが。
 結局、そのお帽子もとの形が何にもなくなるまで取り合いしてるんです。」
「(柘) ええーっ!」
「(ヒ) 結局、2人とも着れなくって終わっちゃうとか。
 お洋服であってもグチャグチャになってしまうとか。
 喧嘩の在り方が、とにかくお互い暴力なんですよ。」
<笑>
「(ヒ) だから、とにかくうちのお母ちゃんはそれを止めない。
 何で止めないの?と言ったら勝った者の勝ちやと言うんですよ」
「(柘・近) ほう~」
「(ヒ) 普通だったら
 『ええ加減にしなさい』『これはお姉ちゃんのやから』『あんた譲りなさい』
 とか、こういう年功序列みたいなのってあるじゃないですか。
 そんなの、全然。
 もう、『堂々おやりなさい』。
 そしたら近所のおばちゃんがね
 『あんた何でそうして間に入って止めへんねん』。
 そしたら、『いや、これはね、私の教育方針ですねん』って。
 だから私ら言ってみれば親のツボにハマっているだけのことなんですよ」
「(近) あ~」
「(柘) 欲しいものは自分の手で。」
「(ヒ) だから、勝ち取れ。
 結局、私がすごく過保護に育って、弱々しく育ったから。
 この子が長女で後継ぎするとなったらもっと強ようせんといかんと思ったのか。
 まあ妹のジュンコが強いもんやから。
 これ、喧嘩さしといたら自然にライバル意識が燃えて
 どんどん強くなっていきよると。
 自分が手添えなくたって、この子ら勝手どんどん育ってくれるんやないかなって。
 そういう魂胆があったのかなぁと。今、考えるとね。
 ちょっと、そういうところはありますよね。
 だから、それだけに、お母ちゃんは私は頼ってられへん
 自分は自分でやらんとあかん。
 その代わり自分が欲しいものに関しては
 徹底的に知恵を出して、自分の欲しいものを勝ち取るという。
 そういうやっぱり何か習性みたいなものができてしまって。
 今でもそういうところがありますね。
 どんなことがあっても、これは欲しいのは欲しい。
 そうすると、どんな努力でもする。
 その気持ちが、もう子どものころから。
 ホントに親の仕組みというか、仕掛けというのかしら。
 ある意味、いい結果に終わったかなって思ってます」
「(柘) 欲しいものは、っていうのが、ピアノも、欲しくて欲しくてあの行為に?」
「(ヒ) そうなんです。独唱をやっていたので。
 友達がピアノを弾いていたんです。 いつも2人で動いていたんです。
 もうピアノが欲しくてしょうがなかったの。
 そこの隣のうちに、ピアノ屋さんがあって、
 ぱっと見たら中古品で安う出たんですよ。
 これはどないしても買うてもらわないとアカンと思って、
 お母ちゃんに『ピアノ買うて』と言って。
 『あかん!』って言われて。
 これはどうしても買うてもらいたい。
 ジュンコも、ちょっと入れて
 『あんたも加担しなさい』と言って。」
「(柘) そういう時だけは一緒に仲よくなれるわけですね。」
「(ヒ) そういう時だけはね。
 悪だくみの時だけは入れるんですよ。」
<笑>
「(ヒ) でね『書きなさい』と言って、ものすごい書きました。
 3000枚ぐらい書いたと思います。」
「(近) 3000枚!?」
「(ヒ) はい」
「(柘) ドラマのこの、いたるところに、ピアノこうては、あながち…。」
「(ヒ) これ、ホントは紙なんですね。
 紙、ばーっと切ってね、書いてね、全部くっつけていくんです。
 うちに仮縫いピンみたいなのあったから、
 それであっちこっち、あっちこっち。
 もうとにかく、戸棚っていうか、食器棚には全部敷きますでしょ。
 それから、お手洗い。
 昔、ちり紙だったですよね。なんか、グレー色の。
 あれに全部書いて。こんなに(5cmくらい)積み上げて。
 全部向けて、全部『ピアノこうて』『ピアノこうて』。」
「(近) ハハハハ!」
「(柘) 使うたびに『ピアノこうて』が出てくる。」
「(ヒ) どこに手を入れても、全部『ピアノこうて』が出てくるんですよ。
 これぐらいのにちょうど切って、半紙をガー切って書いて
 それをカットして全部入れていくんです。」
「(近) うわ~、徹底してますね。」
「(ヒ) どこ行っても書いてあるから。
 ホントに親は閉口したと思うんですよ。
 で、買うてくれたのがオルガンやったんですよ」
「(近) ドラマでも、そうですよね。」
「(ヒ) だけどオルガンを弾く時にものすごい喧嘩してるでしょ、取り合いで」
ドラマで糸子に説教されてるシーン(94話)
「(ヒ) そしたら今度ね、お母ちゃんがね このころは
 『うちの家は貧乏やねん 税金も払われへんねん』。
 だから赤紙を貼ったんですよ 税務署の」
「(近) 差し押さえってことですか。」
「(ヒ) 差し押さえ。差し押さえをするからってね。
 その代わり自分の洋服だんすにも貼りましたよ。
 でも、いちばん先にオルガンに貼られたんですよ。
 ここに貼っといて。
 『貼られたんや』と。『うちはお金がないから税金も払われへんねん。
 『だからね、あんたらね うちは貧乏やねんで。
 だからそれなのにオルガンを買うたってんねんから
 こんな喧嘩するんやったらこのオルガンまた売ってしまうわ』って言って。
 これはえらいことやなと思って。
 『お母ちゃん、堪忍。これから、喧嘩せえへんから』
 て言うても、だめ。
 また、喧嘩をしてましたけどね。
 結局ね、親と子の知恵比べなんですよ。
 あれはね、赤紙なんて、あれうそですよ。
 あれはね、本当にうそ。
 さっとその場で切って開けてくれたんやから。
 そんなもん、普通は開けられしませんやん。
 それを『ほな弾きなさい。喧嘩せえへんのやったら弾きなさい』って。パって」
「(柘) それぐらい、いろいろお母さんも、あの手この手で」
「(ヒ) あの手この手ですよ」



 母に行かされた散髪屋さん



「(近) あと私、印象に残っているのが
 どんぐりがはかまを履いているような散髪屋さんに行くっていうシーン。」

糸子が学校から帰ってきたうるさい二人の娘を家から追い出したあと
 安岡家で優子が玉枝に髪を切ってもらう。(87話)

 「(玉枝) せやけどあんた、これ以上切ったら
  ドングリのはかまみたいになってしまうで。どないする~?」
 <(糸子) 子供らの頭が ドングリになるくらいはよしとせな>

「(ヒ) お母ちゃんね、忙しいてね。そば寄っていったら
 『あんたちょっとうるさい あんた、どっかいっといで
 ちょっとお金あげるからな 散髪屋行っといで』って。
 『てらした』という散髪屋さんなんですよ。
 ジュンコとミチコと私と3人でね、お金もらって行くんですよ。散髪屋さんに。
 そうするとね、漫画の本見てね。
 それから待っている時間を入れたら3時間ぐらい帰ってけえへんのですよ。
 私たちもね、散髪屋さん楽しいから行くんですけど。
 3日にあけずに行け行けと言うんですよ。
 そしたら行ったら、おっちゃんがね
 『あんたら、もう切るところないで』って。
 これ以上切ったら だんだんだんだん 毛ぇなくなって。
 これ見てください。」
「(近) 実際のお写真ですね。」
「(ヒ) おでこがドンドンドンドン出ていって。
 ミチコは、まだかわいいけど
 私なんか、それでこそ顔長いのに、ドンドン。
 もう切るとこない… それでも
 『お母ちゃん、また切っておいでって言うか。
  ほなしゃあないな、切ろか』って、また切ってくれるんですけど。
 もう、私らは、親のせいでこんな頭なんです。」
「(柘) ドングリの袴みたいになってまうで、と言われた髪型ですもんね、これが。」
「(ヒ) そうですね」



 本当は美術大学志望



「(柘) そんなお母ちゃんですけども、
 子どものころは、どんなふうに働く姿を見て、
 こうなりたいなとかってあったんですか?」
「(ヒ) お母ちゃんの姿を見てね、私は絶対に後継ぎしたくないと思ったのよ。
 もう、こんなお母ちゃんと同じことなんか絶対したくないと思って。
 だから、私は『後継ぎだけはせえへんで!』って言って、えらい反抗してました。
 私、1年ぐらいね、もの言わなかった時があったんですよ。
 というのはね、一生懸命勉強してね
 ものすごくエエところまでいくぐらい勉強して
 美大に行くのが目的で。
 これは、どうしても美大に行きたいと。
 お母ちゃんは その時は行ってもええと言うたんですよ。
 それで私学から公立に移って 一生懸命勉強して
 これやったら、いけるでっていう時になって、急にね
 『美大なんかあかん!』って言うんですよ。
 なんで どないなったんか知らんけど。
 要するに… 絵描きさんになったらね
 貧乏な絵描きさんっていうイメージしかないみたいね。
 やっぱり自分で若い時から貧乏してるでしょう。
 やっぱり そういうのを 子どもの時代で っていう気持ちがすごくあったのかな。
 私はもう、お母ちゃんの後継ぎなんて絶対嫌やって。
 お母ちゃんが仕事やってんの見てたら、
 まるで『野麦峠』の世界みたいだったんですよ。」

あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史 (角川文庫)

「(柘) 『野麦峠』、昔のね。」
「(ヒ) もう人がね、正月、お盆
 楽しむために、人様のために犠牲になっているみたいな世界やとばっかり思って。
 きれいなお洋服を縫う楽しみとか、そんなことよりも、とにかく犠牲。
 こんな世界は私は絶対に継ぎたくない。
 私は絵を描いて、暮らすんやと。
 そう思っていたのが、これでしょ。
 で、ある日、ちょっと考え方 変わったんです。
 それで、一年間お母ちゃんにものを言わへんかったんですけどね。
 『お母ちゃん、私ちょっと後継いだってもええよ』って。」



 ファッションの道へ きっかけは中原淳一



「(ヒ) それは実は、中原淳一先生。」
「(近) こちらですね。 『それいゆ』っていう雑誌を…。」
それいゆ
「(ヒ) これこれ。」
「(近) 当時の女性誌…。」
「(ヒ) この時代、この頭がはやってね
 それでね、中原淳一先生の
 『それいゆ』とか『ひまわり』の大ファンだったんです。
 中を開けますと…。」
スタイルブック(SOLEIL PATTERN)
「(近) 編集長で、しかも表紙も描かれていて
 挿絵も、中原さんが。」
「(ヒ) その中に、スタイルブックあるでしょう。
 このスタイルブックということは
 お洋服のデザインがそこに描かれてるわけですよ。
 その絵が、やっぱり中原先生の絵なんです。
 中原先生って元々絵描きさんなんですよ。
 これはファッションと絵が一体にできる世界。
 これを発見したんですよ。
 これで、私、目の上のうろこがパカッと取れて。
 私はこの世界で生きていこうと思って、それでお母ちゃんに
 『お母ちゃん、私、東京に行って勉強するわ』。
 今で言えば、イラストレーター。」
「(柘) 実際に中原さんのイラストを参考にお作りになった…。」
「(ヒ) この洋服がそうです。
 洋裁学校に行き始める時に髪の毛も、洋服もね
 全部中原先生の。 憧れて。」
「(近) そして洋裁の道を歩み始められまして」
「(ヒ) 文化服装学院に入ったんですけどね。」



 25年前 家族で番組出演



「(近) そして、今やヒロコさんだけではなく
 三姉妹が、それぞれ活躍されていますよね。」
 実はですね、3人ともお忙しい中、
 そして、お母さん自身もお忙しかったと思いますけれども
 皆さんが一堂に会したテレビ番組がNHKにありまして
 今日はその映像もありますので。
 綾子さんが74歳・当時でいらっしゃいます。
 ご覧頂きましょう。」

「コシノ一家の肝っ玉放談(1987)」の映像
 司会は、紙ふうせん(平山泰代・後藤悦治郎)。


「(後藤) 拍手で、呼び込みましょう。お母ちゃん。」
「(全員)お母ちゃん。」
「(後藤) 改めて、紹介させてもらいます。
 偉大なお母ちゃんです。小篠綾子さんです。こんばんは」
「(綾子) こんばんは」
「(後藤)ようこそおいでくださいました。
 お母ちゃんから見られてですね
 この子はよく手伝うてくれたとか 何かあります?思い出。」
「(綾子) 何にもない。誰も手伝わない。」
「(後藤) 手伝わなかったんですか?」
「(綾子) はい。私 手伝うてほしくなかったんですよ。本当にね。
 子ども手伝わすんやったら
 私、本当、何かすること いっぱいあったんですけども
 私、大体、お弟子さんが たくさんありましたし
 子どもたちが、まいまいされたら
 うるさい!という気持ちがあったのでね。
 できるだけ、離れよう離れようとしてたんですよね。」
「(後藤) ああ、そうですか。
 お母ちゃんから見て 三人三様だと思うんですが
 キャラクターというか 性格といいますか。」
「(綾子) うーん…この人は何て言うのかな  (←ヒロコさんについて)
 長女で、あまり気が利きませんけども、
 それを私がカバーするという立場で
 一生こら、ついてやらな この人はね。
 やはり、よう人には好かれるんですけどね。
 細かい点まではね、やはり気がつかないんです。」

「(綾子) そういう三人三様のね そこに流れるものはね
 ひと言申しましたら、やっぱしね
 正直な、っていうのが この4人ともついてまわるんです。
 非常に、自分の気持ちに正直。
 人には正直。うそは言えない性質だっていうことはね
 これは言えるんですよ。
 もうそれが根本あったら 何もいらないんですよね、うちは。」

(スタジオに戻る)

「(柘) うわ~ お母ちゃんですね。」
「(ヒ) ねえ。だけどあんな厳しいことを言うてながら
 この子を見てあげんとあかん、なんて
 まあ、よう言うわぁ~。」
<笑>
「(柘) お母様じゃないと、ヒロコさんに言えないせりふですよね。」
「(ヒ) なんか結構ええ格好してますよね。」
「(近) 当時は74歳ですが。」
「(ヒ) あの時ね、3人でね しゃべるしゃべる。
 もう、すごいしゃべるんですけど。
 横からジュンコがパーンとたたいて
 『お姉ちゃん、しゃべりすぎ!』。
 ピー、つねったりね。
 本当にね、あの中でも喧嘩しているんですよ。」
「(柘) 一見、しおらしく3人…」
「(ヒ) キーっ、てやってるんですよ。」
「(近) あそこでもライバル同士がバチバチとやってたわけですね。」
「(ヒ) そうそうそう。」



 74歳の母がブランドを作る



「(近) 当時74歳ですから、今と同じ同年代になるわけですよね。」
「(ヒ) そうですね。
 お母ちゃんは74歳で初めてプレタをね、やり始めたんです」
「(近) 既製服を。それまではずっとオーダーメードに
 こだわってらっしゃったんですよね。」
「(ヒ) たぶん今度の『カーネーション』で出てくると思うんですけど
 『オーダーしかやらへん』と言ってたのが既製服やり始めて
 『自分のブランドを作りたいんや』と言い始めたでしょう。
 その時にもう、私たちも大笑いしたんですけどね。」
「(近) 大笑い?」
「(ヒ) お母ちゃんがブランド作るって言って、行ったんですよ。
 そしたら、その展覧会の時、展示会ですか。
 ダーッと作品を並べてるんですけど
 どれ見ても、ジュンコ風、ミチコ風、ヒロコ風。
 これ、私と同じ服や。色違うだけや。
 ちょっとちょっと、ちょっとフワーッ、フワーッとしてるだけやん。
 お母ちゃん、私らな、自分のオリジナルっていうことを
 一生懸命考えて今まできたのに、
 お母ちゃんのオリジナルって何やねん、って言うたら
 『お母ちゃんのオリジナルはあんたらを産んだことや』と。
 『あんたらのオリジナルは全部私のもんや』。」
<笑>
「(柘) さすが。」
「(ヒ) せやからそのオリジナルの私たちが一番出したいと思うところを
 きっちり、もう掴んでるんですよ。
 さすが!そこが親です。」
「(近) 大事なところを押さえてるんですね」
「(ヒ) いちばん、ええところ。
 私は、これを見て欲しいというようなデザインのとこだけ きちっとつかんでて。
 それを自分のデザインの中に取り込んで作品にしているんです。」
「(柘) それは、やっぱりさすがですね」
「(ヒ) これは、親でないとできないなと思った。
 だからその取り込む…。
 『お母ちゃん。これ、作品、パクリやん』って言いましたよ。
 だけどね、パクり方でも、やっぱり、この人の思想があるんですね。
 これはね、私はびっくりしました。
 さすがうちの親やな思いましたよ。」
「(近) 74歳で新しいことを始めるという…」
「(ヒ) 私はこれから、頑張ってな 世界のデザイナーになんねん
 って、私らに死ぬまで言うてましたからね。」
「(柘) 92歳までずっと現役で。」
「(ヒ) 現役でねえ…生涯青春というか。
 ちょうどね、私ね、世界のデザイナーになるって
 えらい、大それたこと言うてるから
 うっそーなんて思ってたんだけど。
 今考えてたらね、こうして『カーネーション』がね
 世界、全国に流れてね。
 私たちよりもお母ちゃんの名前のほうが世界・全国、通ってますやん。
 綾子=糸子。糸子=綾子ですよね。
 いや~ お母ちゃん死んでから5年なるんだけど
 5年目にしても、まだやっぱりね、
 朝ドラに出たかったという気持ちがありあり出ていて。
 しかもね、自分が世界のデザイナーになりたかったという、
 その、何て言うんかな…情念ていうんですかね。
 これがやっぱり、きちっと成就してっちゅうのは恐れ入りましたね。」
「(柘) すごいですねー」
「(ヒ) すごいわね。
 これ、死んでから5年ですよ。
 5年でこんな『カーネーション』なんかねえ…ちゃんとこう…
 すばらしいドラマにしてねえ、
 しかも朝ドラになりたいなりたいってね。」
「(近) ずっと出たいとおっしゃっていたそうですね。」
「(ヒ) もうとにかくね、通ってくるね、集金人の、
 NHKの集金人のおっちゃんあるっしょ。」
「(柘) 受信料の」
「(ヒ) 受信料の。おっちゃんにね、あんたNHK帰ったら、言うといてや。
 うちの一家が朝ドラになるように言うてちょうだい。
 お母ちゃん、そんなNHKのそんなおっちゃんに言うたって
 分からへん分からへん。
 NHKやろ。NHKやったら誰でもみんな同じやん、って。
 今言うとかんとあかん、って。
 本当におもしろかったですわ。
 その執念がね、自分がこうありたいと思ったら
 どんなことあってもこうなりたかったの。
 あの気持ちはホント、姉妹(きょうだい)3人みんな同じです。」



 74歳で念願の画家デビュー!



「(柘) そして、ヒロコさん自身が今
 お母様がファッションブランドを立ち上げた時と同じ年齢になられて。」
「(ヒ) はい。ちょうど同じ年齢になって。
 お母ちゃんは74歳でデビューっていうことでプレタをやりましたでしょ。
 このデビューっていうの考えてて
 実は先日ね、あの…アーカイブスにちょうど出ていた時に。
 NHKの。日曜日のね。
 あの時、ふと発見したんですよ。
 私、今74歳で。実際75歳ですけど。
 74歳で、絵のデビューをしたんです。」
「(近) そうですね。パリで去年個展を開かれました。
 その時のお写真、こちらです。」
「(ヒ) お母ちゃんがプレタポルテのデビューを、ブランドデビューをしたのと
 私が絵のデビューしたのと、一緒の年や。
 いやあ、これって何かあるなあ、と思って。
 本当、その時ね、口で言いながら
 えっ?ああ!74歳で、同じ年で
 全く違うある意味ジャンルの世界デビューしてるわ。」
「(柘) 偶然といいますか…。」
「(ヒ) いやあ、その時私、実は発見したんですよ。
 びっくりしました。
 なんか、その時、天国からお母ちゃんが、
 『あんた、美大行きたいって言うてたけど、絵の方向に行ってみ。
 きっと、これまた成功するで。あんた、やりなさい。
 お母ちゃん天国から守ったんで』って言うてくれたんやなって思ってね。
 なんかもう、じーんときました。」
「(柘) 本当ですねー。」



 親子3代 ファッションデザイナー



「(近) そのお母ちゃんの精神は
 今また次の代に受け継がれていまして
 写真があるでしょうか。」
綾子さんジュンコさんと、
 ヒロコさん親子(長女・由佳さん、次女・ゆまさん)5人の写真

「(ヒ) これ、みんなでね。上の娘と下の子と」
「(柘) お嬢様、長女の由佳さんと、次女のゆまさん。
 ゆまさんも今デザイナーとして。」
「(ヒ) ゆまちゃんも今ねー、
 なんかヤンキーみたいな女の子になって出てるけどね。」
「(柘) 『カーネーション』の中でジャージーを着て」
「(ヒ) 怒ってましたよ。
 『私、ヤンキーなんかなってないよ!
 ママのこと大好きやったのに!
 もう嫌や!』とか言ってましたけど。」
「(柘) すいません、ドラマで…。」
「(近) フィクションでね、少し際立たせるために。」
「(ヒ) でも、これも楽しく皆さんが見て頂いたら
 すばらしいことだと思ってます。」
「(柘) ゆまさんもデザイナーとして活躍されていらっしゃるそうですね」
「(ヒ) そうですそうです。3代目ですよね。」
「(柘) こんど、母親の立場で、どうですか?」
「(ヒ) ゆまちゃんを育てる、その過程で見ていて、
 やっぱりお母ちゃんが私たちに非常に厳しくクールに育てたっていう部分が
 私もやっぱり親のやってることを見て、とても参考になるんです。
 こういう場合お母ちゃんやったらどうするかな、とかね。
 だから、私ももっとこの子に対して厳しくせんといかん。
 だから、ちょうど今、お母ちゃんのところに預かってもらって。(←ドラマで)
 この子どうしようもないから預かってって言うてますけど。
 あれは、実は事実で、ヤンキーだからっていうんではなくて
 学校に行ってる時にですね、文化服装学院に行ってる時、
 私たちのやってることとか 親のやってることとか
 とにかく伯母ちゃんがやってること もうみんな見てるから
 頭だけが先に行ってるんですよ。
 だから、学校で習ってることが、ある意味アホらしなってきたのか
 もう学校さぼり倒してたんですよ。
 それで卒業間際になって、私のところに先生から電話かかってきて
 コシノヒロコ先生のお嬢さんで申し訳ないんですけど
 このままでいったら卒業できませんって言ってきたの。
 それで、
 『お母ちゃん、えらいこっちゃ、どないしよう。
 こんなこと言うてきたわ』。
 『ああ、そうか。ほんならな、ちょっと、うち預かったるわ。
 岸和田のな、あの田舎で1回ね、一からしごいたるわ』言うて、
 連れて帰ったんです。
 で、また行く時に、この子、私に手を合わして
 『ではママ、行ってまいります』 って言って行ったんですね」
「(柘) 確かに、この世界に触れていたら
 世界一流のものが入ってますからね。」
「(ヒ) 頭ばっかり…。はい。」
「(近) まだまだ伺いたいことも多いんですけれども
 時間がそろそろとなりましたので
 このあと、皆さんからの質問とメッセージをご紹介いたします。」



 ヒロコさんへの質問とメッセージ



「(近) 今日のゲストはファッションデザイナーのコシノヒロコさんです。
 このあと、皆さんからの質問とメッセージを伺います。
 まずはこちらの質問からです。最初はこちらです。」

 『若さの秘けつ教えて! 愛媛・石田さん』

「(近) コシノヒロコさん、若さの秘けつ教えてください
 愛媛県の方からです。」
「(ヒ) やっぱりいっぱい希望を持ってるし
 目的もたくさん持ってるし
 それに向かって進むだけという気分で。
 最初からお話してるように
 自分でやりたいと思うことを勝ち取るためにはどんな努力も惜しまない。
 そういう気持ちが、自然にワクワクさせられるんですね。
 人間ってワクワクしたり、まあ、非常に大変なこともあるんですよ。
 とても逆境もいっぱい体験しました。
 ですけどね、それを乗り越えた時のね、達成感って凄いんですよ。
 その時、パーってね、なんかこう、若さが与えられるんじゃないかな。
 だから、ただただ平々凡々とやってるんじゃなくて。
 私たちの人生って、ある意味闘いですよね。
 やっぱり闘いっていうのはね、やっぱり疲れちゃ、もう闘いじゃないのね。
 それを闘って、勝っていかなきゃだめなの。
 勝つっていうことは、勝ち取ることですから。
 やっぱりそれは、若さを勝ち取るのと私は変わらないと思います。」
「(柘) 常に世界に目を向けてらっしゃいますもんね。
 エネルギーにまっすぐね。」
「(ヒ) ネガティブな考え方は全然持ってないですから。
 もうポジティブなものの考え方しかないんです。」
「(柘) 見習わなきゃ!」

「(近) 背筋がぴしっとなったような気がしますが。
 続いてはこちらの質問です。」

 『おじいさんはどんな人でしたでしたか?思い出を教えて! 埼玉・麻田さん』

「(近) おじいさんはどんな人でしたでしょうか?思い出を教えてください。」
「(ヒ) ああ、おじいちゃんね。」
「(近) 綾子さんのお父様で
 ドラマでいうと小林薫さん演じる善作さんですね。」
「(ヒ) そうですそうです。
 私にとって、美のDNAっていうんですか
 美的な意識っていうのが、もう、おじいちゃんから全部もらってるんですね。
 おじいちゃんと歌舞伎に行ったりとか
 もう3つぐらいから、とにかく綺麗な芸者さん遊びするところとか文楽に行くとか
 そんな時にいつも私を連れてってくれて」
「(近) は~ 小さいころからそういうところに…」
「(ヒ) それがもう全然退屈がらずに見てるんですよ。
 で、それが私の中にしっかり入ってて。
 この美意識っていうのがね、おじいちゃんから完全にもらったの。
 この辺の感性っていうのは、また、ジュンコとここが違う。
 ジュンコは やはり、1つの抵抗するという部分で
 非常に強いものを持ってますけど、
 私はそういう意味での、エレガンスっていうか。
 だから、小さい時から歌舞伎ばっかり見てるもんですから、
 女の人と男の人が心中したりとか ああいう男と女の恋愛関係とか
 そんなのばっかり小さい時から見てますでしょ。
 だからお母ちゃんが不倫したって、
 お母ちゃんかわいそう、お母ちゃん勝って、みたいなところが。
 だから、私たちはちょっと親戚のおっちゃんに
 『お母ちゃんは間違ってない』って言えたんです。」
「(近) ドラマでいう周防さんのくだりですよね。
 あれも本当だったということですよね。ありがとうございます。」

「(柘) そして、メッセージもたくさん頂いております。

 『昭和時代からヒロコさんの服に憧れて着させてもらっています。
  当時のデザインも今現在
  高校生、中学生の息子たちがカッコイイと言い、着ています。
  時が流れても、潔くカッコイイおしゃれのすばらしさを感じております。
  これからもずっと応援しています』
 藤沢市のユミさん
 時代を超えてかっこいいものは変わらないというメッセージを頂きました。
 それから
 『カーネーションで激しい姉妹の喧嘩が描かれていますけども
  常に本音でぶつかり合い、一本筋を貫き通す姿勢に
  毎朝元気をもらっています』
 というメッセージ、頂きました。
 本当に私たちも、今日もお会いしたらますます元気を頂きました」
「(ヒ) ありがとうございました」
「(柘) これからも、ますますご活躍お祈りしております。
 本日のゲストはファッションデザイナーのコシノヒロコさんでした。
 どうもありがとうございました」
「(ヒ) ありがとうございました」
(拍手)

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コメント
コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
2012/03/24 (土) 11:12:15 | URL | ビジネスマナーの言葉遣い #-[ 編集 ]
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